だからこそ、俺は今日もバットを吸う。

米澤穂信先生の、「本と鍵の季節」をやっと読み終えた。タスクが多いとじっくり本が読めない。いやーん。移動時間に読み進めたので、がっつり謎に挑戦しなかったのはもったいなかった。
ぶつかってこそでしょうに。
それはさておき。
物語の完成度が非常に高い。おもしろかった。文字通り一言一句無駄がない。謎のレベルもこういうのが好きな人には刺さるだろうなぁ、実際刺さったし。思考の一歩先をいかれる感覚は心地よい。
図書委員の高校生というのも、個人的には良かった。実際図書委員だったし。あんなマジメじゃなったけど。天地印とか押したことないしな・・。先生がやってた。
何度読み返しても面白い。編一つ一つも勿論、やっぱ生きるって、どこかで生きてきたことが活かされることですよ。とか。思ったが、そんなものはなんか違う!!!

小節読んでさ、どう思うかは人それぞれなのはあたりまえなんだけど、いつからだろう、物語を読んで、これの完成度は~とかいうようになったのは。
そうじゃなくてさ、冒険譚読んで、うおー旅してえとか、「ホーリーランド」読んで闘いてえウズウズするぜとか、こういう気持ちを大事にしたい。

だから、この物語を読んで、俺は、すこし物悲しくなった。儚さのような気持ちを味わった。それも覚えておきたい。
俺は松倉が良いシャツを着るように、煙草を吸う。これが今日の一言。
こういう新しい作品について書く時ってなんか色々気を付けたほうがいいのかしら・・・?