地を這うボンクラ

グミ・チョコレート・パイン」を読んだ。大槻ケンヂ著。

感想位はきっちりと残しておくボンクラであろうと思った。

彼には「サーチライト」や「オーケントレイン」、「ロッキンホース・バレリーナ

随分助けられている。最近だと「ぽえむ」もそうだった。

本題。

小説で大号泣したのは久しぶりだった。

彼の小説は、よく筆者自身が突っ込みを入れている。僕は茶々だと思うけれど。

世代が世代なもので、作品に作者自身が介入するのに若干の抵抗と受け入れと、両方ある。

が、段々気にならなくなってくる。

パイン編ではほとんど見られなかったし。

彼は11年にわたって描いていたから、色々と心境もなにもかも変化していたのかもしれない。

黒いマントの描写、凄まじかった。

ケンゾーが一人、なにもないと自覚してしまうシーンも真に迫りすぎている。

一回拗らせた人間にしか出せない文章だと、沁みた。

読んでる自分が、逃げだしそうになった。

それくらい、パワーに満ちた作品だったのだ。

僕は、グミ編を読み終えた後、自分の一年を振り返るために、文章を綴った。

ちょうど、ケンゾーがこれからチョキの100連発で、山口美甘子を追い抜いてやると決意を新たにしていた。

それに対し、自分にチョキの100連発なんて無理だと、僕は悟っていた。

チョキの100連発が出来るような男なら、こんな文章を書いちゃあいない。

じゃあ、グーだと思った。それは、シンクロだった。

のちにパイン編を読み、驚愕したものだ。同じところに着地したことに。

こんなものに運命感じてる暇があれば、行動しろってのが、おそらく正論。

多分、チョキなら、そう。

でもグーだから。俺達は。一緒にするななんて寂しいことは言わないでほしい。

この物語は自分にあてたものだと自分の為に描かれたと思ったボンクラ共はきっと星の数ほどいる。

それに対して、俺は、一緒に頑張ろうって素直に思う。

俺にも追いつきたいものがある。

食らいつきたいものがある。

大槻ケンヂにだって、じゃんけんを挑みてえ。その高さにたどり着かないかもしれない。

ただ、これも引用だが、個人で登れる山の高さはそれぞれ違う。

だけど、高みは確かに存在して、登ったものだけが、それを実感できるらしい。

「セスタス」で言ってた気がする。

あんまり、長々書いても、結局本編の追従にしかならないので、この辺で。

 

今日、これくらいしかやってないっすよ。

色々考えて、自分と喋って、どうしよどうしよの連続だった。

かなりの時間寝て過ごしちまった。つれえ、不安だよ。

後ろでTVを見てる親父が怖くてしかたねぇ。

だけど、もう、勝負から降りない。手を出さないって選択肢はとうに消えた。

この記事は、今日の俺のグーだ。