脳天がつーん

「違国日記」を読んでいる。ヤマシタトモコ先生。

3月の終わりに母がまとめて3巻まで買ってきて、今4巻。

毎度毎度頭をがつーんと殴られるような感触。

昔読んだ台本にボールを頭にぶつけられるシーンがあったのを思い出す。

「…いってぇッッ!」だったか。

イメージをキチンと言葉に乗せて演技をしろと言われていたなぁ。しみじみ。

それはさておき。

俺はこの作品の言葉が全部好きなんだな。本当に。

重さも軽さも温かさも冷たさも、全部感じられる作品なんだ。

page.18にて、「物語」が必要な人間の話が出てきた。

ここはあくまでざっくりとした自分の覚え書きだから突っ込みはなしで。

物語はかくまってくれる友人であると。まきおちゃんは言っていた。

それは、僕も似ていて、自分はつくづく「物語」が必要な人間であると思う。

物語に影響されて、成長する。

かくまってくれる友人であり、時に自分の背中を押してくれる友人。

だから現実に引き戻してくれる時もある。

ありがたいものである。得難い。

で、そんなパワーを感じるとこうして駄文を書き連ねてしまいたくもなるのだ。

地を這うボンクラ

グミ・チョコレート・パイン」を読んだ。大槻ケンヂ著。

感想位はきっちりと残しておくボンクラであろうと思った。

彼には「サーチライト」や「オーケントレイン」、「ロッキンホース・バレリーナ

随分助けられている。最近だと「ぽえむ」もそうだった。

本題。

小説で大号泣したのは久しぶりだった。

彼の小説は、よく筆者自身が突っ込みを入れている。僕は茶々だと思うけれど。

世代が世代なもので、作品に作者自身が介入するのに若干の抵抗と受け入れと、両方ある。

が、段々気にならなくなってくる。

パイン編ではほとんど見られなかったし。

彼は11年にわたって描いていたから、色々と心境もなにもかも変化していたのかもしれない。

黒いマントの描写、凄まじかった。

ケンゾーが一人、なにもないと自覚してしまうシーンも真に迫りすぎている。

一回拗らせた人間にしか出せない文章だと、沁みた。

読んでる自分が、逃げだしそうになった。

それくらい、パワーに満ちた作品だったのだ。

僕は、グミ編を読み終えた後、自分の一年を振り返るために、文章を綴った。

ちょうど、ケンゾーがこれからチョキの100連発で、山口美甘子を追い抜いてやると決意を新たにしていた。

それに対し、自分にチョキの100連発なんて無理だと、僕は悟っていた。

チョキの100連発が出来るような男なら、こんな文章を書いちゃあいない。

じゃあ、グーだと思った。それは、シンクロだった。

のちにパイン編を読み、驚愕したものだ。同じところに着地したことに。

こんなものに運命感じてる暇があれば、行動しろってのが、おそらく正論。

多分、チョキなら、そう。

でもグーだから。俺達は。一緒にするななんて寂しいことは言わないでほしい。

この物語は自分にあてたものだと自分の為に描かれたと思ったボンクラ共はきっと星の数ほどいる。

それに対して、俺は、一緒に頑張ろうって素直に思う。

俺にも追いつきたいものがある。

食らいつきたいものがある。

大槻ケンヂにだって、じゃんけんを挑みてえ。その高さにたどり着かないかもしれない。

ただ、これも引用だが、個人で登れる山の高さはそれぞれ違う。

だけど、高みは確かに存在して、登ったものだけが、それを実感できるらしい。

「セスタス」で言ってた気がする。

あんまり、長々書いても、結局本編の追従にしかならないので、この辺で。

 

今日、これくらいしかやってないっすよ。

色々考えて、自分と喋って、どうしよどうしよの連続だった。

かなりの時間寝て過ごしちまった。つれえ、不安だよ。

後ろでTVを見てる親父が怖くてしかたねぇ。

だけど、もう、勝負から降りない。手を出さないって選択肢はとうに消えた。

この記事は、今日の俺のグーだ。

ベクトル操作。

最近過去に自分のベクトルが行きがちで、
あんまり未来に対するベクトルが向いてない。
これはよろしくないのである。
過去の自分がああだった、こうだったと考えても、ただでさえない自己肯定感がぶっつぶれてしまう。
ただ、悪いことばっかはなかった。

俺はずっと居場所を探してる。自分の居場所を。ってのが最近分かった。

ここなら俺は俺でいられるをずっと探し求めてさすらっていた。
傷ついて、やってられなくなったり、もしたけども。

 

とりあえず歩こう。風が吹くままに。気の向くままに。

自由気ままに。僕らどこ吹く風です。あるがままに、いきていたい・・・。

だからこそ、俺は今日もバットを吸う。

米澤穂信先生の、「本と鍵の季節」をやっと読み終えた。タスクが多いとじっくり本が読めない。いやーん。移動時間に読み進めたので、がっつり謎に挑戦しなかったのはもったいなかった。
ぶつかってこそでしょうに。
それはさておき。
物語の完成度が非常に高い。おもしろかった。文字通り一言一句無駄がない。謎のレベルもこういうのが好きな人には刺さるだろうなぁ、実際刺さったし。思考の一歩先をいかれる感覚は心地よい。
図書委員の高校生というのも、個人的には良かった。実際図書委員だったし。あんなマジメじゃなったけど。天地印とか押したことないしな・・。先生がやってた。
何度読み返しても面白い。編一つ一つも勿論、やっぱ生きるって、どこかで生きてきたことが活かされることですよ。とか。思ったが、そんなものはなんか違う!!!

小節読んでさ、どう思うかは人それぞれなのはあたりまえなんだけど、いつからだろう、物語を読んで、これの完成度は~とかいうようになったのは。
そうじゃなくてさ、冒険譚読んで、うおー旅してえとか、「ホーリーランド」読んで闘いてえウズウズするぜとか、こういう気持ちを大事にしたい。

だから、この物語を読んで、俺は、すこし物悲しくなった。儚さのような気持ちを味わった。それも覚えておきたい。
俺は松倉が良いシャツを着るように、煙草を吸う。これが今日の一言。
こういう新しい作品について書く時ってなんか色々気を付けたほうがいいのかしら・・・?

憧れの先へ

今週のアナザースカイは、齋藤飛鳥さんでした。
数年ぶりに見た。僕がずっとずっと好きだった番組。もう二度と見ることはないと思ってた番組。

中3の時に見た羽鳥さんのハワイ回で大泣きした。

高3の時毎週感想を書いてた。

こんなことがしたいって、思ったんだ。

久しぶりに見た番組はやっぱりあのころとは違ってた。

JTのCMは流れなくなってたし、番組ラストのジングルも変わってた。

ただバッキ―さんのナレーションはいつも素晴らしい。あの人みたいになりたいと強く憧れたんだ。

でも、もう、なれない。

僕はもうアナザースカイがまた見れる。そんなことが、寂しくもあり、切ない。

もう俺は前を見てる。あのころとは別の目線で番組を見ることが出来る。

 

齋藤さんは面白かった。20歳っていうけど、5年の月日で彼女はきっとものすごく成長したんだろう。僕は全然詳しくないので、何も言えないのだけれど。

すごいなあ、かっこよかった。俺は面白かったです。

前だけ見て走り続けるさまを俺は尊敬します。

悔しさをバネに、でも活動に楽しさを覚えていて、素晴らしいと思います。

すごく綺麗だよ、それって。

らしさなんて、気にせず、これから生きていってほしいというのが、私のエールです。

僕はそれにはなれなかったから。

 

アナザースカイは僕がどうしようもなさを感じているときにピンポイントで刺さる。

初心を思い出せた気がする。

これからも一息つきながら、生きていこうと思う。

今日を生きる全ての人に幸せだと思える瞬間がありますように。これは本心なんだ。

虚無虚無プリン

虐殺器官」を読んだ。

元々「屍者の帝国」の映画を観ていて、それが好きだったから、どんなものだろうと期待していた。

でも今は、伊藤計劃が、虐殺器官を描いた彼が続きを書いたら、屍者の帝国のあのラストには辿り着かないだろうとぼくは思う。

今のぼくは虚無に近い。

言語化の出来ない気持ちに苛まれる。

多分、この記事はすぐに消す。

あまり残しておきたいアーカイブではない。

 

ぼくはぼくの世界の為に様々な事に目を背けたり、逆に背けられなかったりする。

非常にセンシティブな人間なので、背けることすら苦手だから。

 

しんじるくん

「ビリーバーズ」を読んだ。山本直樹先生の。

作品そのものより、巻末のインタビューに心が惹かれた。

80年代に「Blue」を描いた方。

「いちきゅーぺけぺけ」とかを読む限り、同人漫画のアンダーグラウンドな面白さはあの時代だったんじゃないかと思う。

僕はその時代生まれてないから、ぼくからしたら歴史だ。それは。

黒テント」も、「さよならを教えて」も、その時代に生まれて目のあたりにしていたら、凄まじい力があったんじゃないかと思う。

今は、Vtuberとかそうなのかしら。でも注目とか浴びすぎて、もうちょっと違う気がする。

アングラにどうしようもなく惹かれる自分。

多分それはマイノリティで生きていくある種の心地よさとかが見え隠れしてるんだと思う。

精神病院?行ってるけど・・・?薬?飲んでるさ。睡眠薬と、抗うつと、ストラテラ

今日も、孤高に吠えていく。わおーん